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たか志オバサンの日記
Shifty Air Snowboard Teamの、たか志オバサンの日記です。最新の日記はミクシィツイッターでも見れます。

2007/03/01
おでん屋の光子さん
光子さんがおでん屋をやるようになってから、たしか
焼酎のお茶割が350円。
薄くしてって注文しても半分くらい焼酎が入っていた。
酔って当然。

それにしてもいろんな人に、ここで出会った。
ボクシングの名コーチ・エディータウンゼント。
世界王者を6人も指導した人。
この人が下北沢の金子ジムで、東洋チャンピオン村田英二郎を指導していたのが、1982年頃だったと思う。
この英二郎さんとも良く一緒に飲んだ。

踊るポンポコリンを唄ってた近藤房之介。
ポンポコリンで誰でも知るようになったけど、その世界では有名なブルースシンガーであり、ギタリスト。
この人は下北の南口の駅前で「ストンプ」って店をやっていて
これまた良く一緒に飲んだ。会うと最初は仲良くのんでいるんだけど、酔うと必ずケンかになった。

金子マリ・ジョニー吉長なんかも、良く飲んだ。
その頃はただのバンドの人としか認識していなかったし、
金子マリさんなんかは、南口の葬儀屋の娘としか知らなかった。

大谷直子や「君は薔薇より美しいの作詞家・門屋憲二。
この人達とは良くキャンプなんかにも行った。

大谷直子とは、歌舞伎なんかも一緒に観に行ったりもした。

門屋さんなんんかは、再婚したとき、いきなり下北沢の喫茶店に印鑑持って来いって言うから行ったら、婚姻届と連れ子の養子縁組届けの保証人になれって言われて、押印した。
ありえない話でしょ?
オカマを保証人になんてするから、結局離縁したけど・・・。

いろんな人とこの店で出会い
いろんな話をした

おねえ言葉でまくし立てる私に
みんなよく付き合ってくれたと思う。

オカマのくせに、グーで殴るけんかとかもいっぱいした。
しゃべりまくってる時に殴られて、口の中を切って
代々木八幡の井上病院で5針も縫ったりした事も有る・・・。
そのあと、おでんやに戻ってまだ飲んだりした・・・。

ほんと、とんでもない。

2丁目のTourchのアキ、レズビアンバー・サニーのサニー
TAMAGOのじゅんちゃん、MARSBARのまあなんかとも朝方に
新宿から飲みに行った。

お客がゲイとレズビアンだけみたいな日も有った。



光子さんは、一人で来るお客さん、特に一人でくる若い人には
殊更優しかった。
この人を慕う人が多いのも、東京で一人で飲んでるときの
優しさを、みんな忘れないからなんだと思う。

本当に思い出が尽きない。

光子さんが死んだ日
私はタイのパタヤよりさらに先の、サメット島へ渡る町ラヨーンに居ました。
自宅の留守番電話を聞こうとしても、タイの田舎からでは交換を通してでしか東京とは接続できなくて、やっと繋がって、ピポパと、暗証番号を押していると、交換のタイ人女性が入ってきてしまうのです。発信音がするので、何故?と思ったんだろうけどね。留守番電話のリモートなんて事いくら言っても分かってくれない・・・。(私の英語がダメな事もあるけど、向こうも英語になってない。)

それで、正月3日になって、バンコクへ戻り、ダイヤル通話で
留守電を聞くと、めずらしく何件も入っていて、どれもが至急電話下さいとだけ、それも誰も用件をいわない???

その電話をくれた人たちは様々で、なんでなのか理解できないで居たらはっとした!
共通点が一つだけ有って、それがおでん屋さん。
直感的に光子さんに何か有ったなと恐くなった・・・。
下北沢在住の一人の電話の主にかけてみる。
やっぱり、光子さんが正月に
伊豆大島に旅行に行って、旅先で急死したとの事・・・。
絶句した。


昔、留年してる呑んだくれのオカマ学生の私は、誰もが卒業して国家試験に合格して歯医者になれるなんて思ってなかった。
でも、光子さんは、この子は絶対歯医者になる!って
言ってくれてた。

そえがなんとか卒業し、国家試験にも合格して歯科医師になった。
やっと開業できて、これからやっと、恩返しにいろいろな所へ
一緒に行こうと思っていたのに・・・。
母にもこの人は東京の母だからって紹介もしていたのに・・・。

私が開業した最初の正月に、光子さんは居なくなってしまった。

それから10年、時々思い出しては
おでん屋「節子」に行って、思い出に浸ったりしていた。

昨日から急にいろんなこと思い出して
とっても切ないです。

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2007/02/28
おでん屋せつ子
下北沢のおでん屋「節子」に最初に行ったのは
もう28年も前の事。

北口の駅前市場(って言ってもアメ横みたいな風情だった)
の中で、夜になると開く、固定性?の屋台のおでん屋が3軒並んでいた。
駅に近い方から、「しばはら」のふみちゃん。
「節子」のせっちゃん。「?」おろくさん。
私はいつも真ん中のせっちゃんの店で飲んでいた。
その頃のこの店のお客なんて、遅い時間は近所のバーのママとか居酒屋の板さんとか、劇団の連中とかが多かった。

そして、おろくさんが店を閉めて、2軒になったのが20年くらい前。その頃から「節子」もせっちゃんに代わって、娘の光子さんが、お店に立つようになった。
この光子さんには、本当に世話になった。
酔って警察に捕まったときも、2度も身元引受人になってもらったし・・・。

学生の頃、赤坂や新宿で水商売のバイトの帰り
下北に寄って、毎晩のように「節子」で飲んでいた。
平気で酔っ払い運転とかするもんだから、もう飲ませてくれないので、泣いて下北に引っ越す約束をしたりしました。

下北に引っ越した日、水商売の仕事に行く前におでん屋に寄ると、光子さんが、「家具とかはあるの?」って聞くから、
「明日丸井で買うわ。丸井のカード作ったし」ってそういったら、明日早い時間にまた寄りなさいって言われ
次の日に行くと、ティッシュの包みを出すから開けてみると
15万円も入っていた。
「若いうちから月賦でなんて物買うんじゃない!」って言って・・・。
そのお金で洋服ダンスと整理箪笥を買った。化粧合板のたいした物じゃないんだけど、今でもずっと大事にしている。
そのお金を全部返せたのは、それから何年もたってのことだ。

また、夜の仕事にかまけて、大学の学業をおろそかにしていたから、留年もした。
そんな時も、光子さんは、私が飲みに行く店にボトルを入れておいてくれたりした。
一緒に旅行も行った。
「オカマのくせに!」なんて言う客がいると、「お前が帰れ!」ってそいつを追い返してくれたりした。

その光子さんも、10年前の正月に亡くなった。

今は弟の和男さんがずっとやってきた。

そのおでん屋さんも、小田急線の地下化に伴う再開発で
ついに今春なくなってしまう。

2丁目のゲイバーのママも、レズビアンバーのオーナーも
みんな昔は行ってたのにな。

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2007/02/26
パレード名称変更
東京レズビアン&ゲイパレード」が「東京プライドパレード」に
変更された。

変更する経緯や、命名されて理由等は、近日中に
TOKYOPride公式HPに掲載予定です。

私個人として、何より変更することを
強く考えるようになったのは、やはり様々なみなさんの声だ。

特に、レズビアン・ゲイでないセクシュアリティの方でも
パレードにボランティアや当日参加してくれている方達も多く、

その方々の中には、大筋では「東京レズビアン&ゲイパレード」を
支持し協力してくれてはいるのだが、名称には自分のセクシュアリティは含まれておらず、どこか疎外感を感じている人が居ると言う
事を知った事が大きい。

名称問題は、以前から存在していた事では有るが
その変更を望む声というよりも、その名称を非難し
それを決定している組織を批判する声ばかりが、
耳に届いていた。

そこには、公的機関でも無いあくまで任意団体である
パレード主催団体に対して、あまりにもその
裁量権に介入され、あたかもそれを犯罪かのごとく
語られる事が多かったと感じているのが
私の認識だ。

今回は、その介入意見に屈したのでも、その主張を受け入れたのでも決して無い。

「パレード」というのは、その目的に大きく二つの意味合いを
私は感じているのだが、
その一つは、セクシュアルマイノリティのマジョリティ社会へ向けたその「存在」の顕在化。

そしてもう一つは、セクシュアルマイノリティ当事者の、その自己肯定のきっかけとなる、大いなる連帯の構築である。

外部にアピールする為に、広く一般に認知されている言葉を
使いたいという、これまでの経緯も理解して欲しいのだが

しかし、その「パレード」会場の中で、疎外感を味わいながら
その運営に無償奉仕している人がいる。
また、参加者として参加してくれている人がいる。

この方達に、「ここはあなた達の居る場所です!」と
「場」を提供するはずの「パレード」が
その「居場所」を提供できなくてどうだろう。

名称変更するにあたって、様々な議論が交わされる中で
もう少し検討してから、継続審議として次年度以降に持ち越すことも、案として出ていた。

しかし、大筋で協力してくれている「変えて欲しい!」と声をあげてくれた人達に、「今年変えない理由」を説明できるだろうか?

それが、私を決心させた大きな出来事でした。

今年の実行委員のみなさんも、理事会のメンバーも
皆同じように考えてくれたが故に、採決をする事も無く
全会一致で決定しました。

議論は「戦い」ではなく、連帯を深める「道具」です。

そして、真摯な気持ちで「他者の意見」を聞き
大きな声で「自分の意見」も言い

「前」に進んで行きたいと思います。

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2007/01/17
特養検診
今日は特別養護老人ホームの歯科検診の日。

意識レベルの低い人が多いのだけれど、今日はめずらしく
こちらの言う事にきちんと反応してくれる人が多かった。

一人のご婦人は、普段全く反応しないのに
今日ご子息がお見舞いに見えて、長い時間話し掛けていたということだった。
そのあとの検診でも、口をあけてと言うと開けてくれるし、
きれいにお掃除しましたからね、と言うと
ありがとうと言われた。
この人の検診をもうかれこれ5年以上いているけれど、初めてだった。

家族の面会の効果ってすごいんだなあ、やっぱり。


こちらの心を写す鏡のように、接していかねばと
思った。

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